Chat (Lingr.com)
Informaiton
Daily
Column
- MySQL日本語の旅(5/1)
- アクセス向上秘伝(5/9)
- 一風変ったHaskellλ門(6/13)
- SICP Answer Book (5/31) 問題3.26追加
Zope Solution
Extra
アーカイブ
OSS案内所
Site Info
関連リンク
何か文章を書かねばと思ったとき、 どうも苦悩して必死で考える人が多いと思うがどうだろうか。 確かに、苦悩して、努力して書いたんだから、 これは価値があるんだと思う人が日本人には多いようだ。
しっかり考えた文章は良い文章。。。と言えるだろうか?
まあ、推敲は必要だとは思うが、
考え過ぎた文章は、読めたものではない
とも言える。
それほど執筆経験があるわけではないが、自分で書いた経験を振り返ってみると、 すらすら書けた本とかは売れるし、評判も良いように思う。 反対に、苦悩して書いた本はさっぱり駄目である。 最近は、苦悩しなければならないようなら、書かないことに決め込んでしまった。
要するに、考えたか、苦悩したとか、それと文章の善し悪し、 まして読まれるかどうかは関係がない、というのが結論ではないだろうか。
読まれるかどうかは、
- 役立つ
- 面白い
のいずれしかないのではないだろうか。
ならば、まず、必死で考えたり、苦悩し過ぎるのは止めよう。
考えるということを出来るだけサボってみたらどうだろう。
論文ならともかく、自分で考えるのではなく、 読んだ人が考えたり、悩んだり、反論したり、 つまり読者が何等かの行動を起こすようなネタを振り撒く方が 良いのではないだろうか。
自分の考えを示して、賛同してくれと求めるのは、受けない。 それよりも、適当に考える材料を並べて、 最後を質問文で終るような無責任な文章の方が、 実は印象も強いのである。
さらに、上手に質問すれば、賛同を求める以上に、 こちらの策略にまんまと填めることが可能である。
人間は考えたがる葦である。
ならば、自分で考えるより、読者に考えさせる方が効果的ではないか。
というような考えもあるんだが、 こんないい加減な方法でうまくいくだろうか?
さて、まだこの連載を読み続けている貴方は、 既にかなりワナにはまっていると思うが、気がついているだろうか?
フィードバック: