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何か文章を書かねばと思ったとき、 どうも苦悩して必死で考える人が多いと思うがどうだろうか。 確かに、苦悩して、努力して書いたんだから、 これは価値があるんだと思う人が日本人には多いようだ。

しっかり考えた文章は良い文章。。。と言えるだろうか?

まあ、推敲は必要だとは思うが、

考え過ぎた文章は、読めたものではない

とも言える。

それほど執筆経験があるわけではないが、自分で書いた経験を振り返ってみると、 すらすら書けた本とかは売れるし、評判も良いように思う。 反対に、苦悩して書いた本はさっぱり駄目である。 最近は、苦悩しなければならないようなら、書かないことに決め込んでしまった。

要するに、考えたか、苦悩したとか、それと文章の善し悪し、 まして読まれるかどうかは関係がない、というのが結論ではないだろうか。

読まれるかどうかは、

  1. 役立つ
  2. 面白い

のいずれしかないのではないだろうか。

ならば、まず、必死で考えたり、苦悩し過ぎるのは止めよう。

考えるということを出来るだけサボってみたらどうだろう。

論文ならともかく、自分で考えるのではなく、 読んだ人が考えたり、悩んだり、反論したり、 つまり読者が何等かの行動を起こすようなネタを振り撒く方が 良いのではないだろうか。

自分の考えを示して、賛同してくれと求めるのは、受けない。 それよりも、適当に考える材料を並べて、 最後を質問文で終るような無責任な文章の方が、 実は印象も強いのである。

さらに、上手に質問すれば、賛同を求める以上に、 こちらの策略にまんまと填めることが可能である。

人間は考えたがる葦である。

ならば、自分で考えるより、読者に考えさせる方が効果的ではないか。

というような考えもあるんだが、 こんないい加減な方法でうまくいくだろうか?

さて、まだこの連載を読み続けている貴方は、 既にかなりワナにはまっていると思うが、気がついているだろうか?


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フィードバック:

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shiro: (Fri Mar 17 18:58:29 2006 )
はまりまくりです。
peketamin: (Mon Mar 20 15:56:44 2006 )
Googleが自社サービスの応用をAPIだけ公開してユーザーに
考えさせるのに似てる…気がしました。確かに論文ではないなら、
思わずコメントしたくなる文の方が、読み物と呼べるかもしれません。

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