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コンテンツにとって何が重要であろうか。 仕事、研究、作業、生活と非常に広範囲に考えても良いのだが、 それらに対してどう取り組むべきであろうか。
人々は正しいか否かを議論したがる
ようなのだが、正しいか否かは何か意味が有るのだろうか? もちろん、正しい資料は意味があるが、 資料以外ではほとんど無意味ではないだろうか?
正しいと言われたことが、数年どころか数ヵ月もしないうちに消滅することが多い
と思うが、どうだろうか。
正しいかどうかが判断できる対象ということは、 まるで教科書の練習問題で、解き方も決まっていて、 何が正しいかがはっきりしているような「つまらない対象」ではないのだろうか?
何かの分野の勉強を始めたのなら、そういうのも価値があろう。 しかし、そういうものが人々の興味をそそる対象なのだろうか?
正しいかどうかが判断できるということは、 同様のコンテンツを、自分以外が用意できる筈である。 要するに、そんなもの、ユニークさに欠ける訳である。
正しいと無意味とは同義語
と信じているが、どうだろう。
1970年ころからの日本の教育は、 とにかく「正しい」を目指してしまったようだ。 しかし、「正しい」からは何も新規なものは生まれない。
良い成績がが取れるような勉強って、基礎学習の間は価値もあろうが、 大学以上が目指すところではないだろう。 自ら問題を見つけ、ユニークな解を提示する、 でっちあげることが求められる訳だ。 既成概念が存在したら、それを超えることを考えるべきである。
当たり前のことが、延々と書かれただけの小説など読まれる訳がない。 非日常が適度なレベルで混じっている小説などが良く読まれる。 読まれるホームページも、本質は同じだろう。
マイクロコンピュータも、Unixも、インターネットも、 みんな正しくないものとして始まった。 せっかくインターネットを利用しているのだから、 「正しくない」ことを尊重しようではないか。
正しさや常識から逸脱して、初めて何かが生まれる。
本連載のテーマであるアクセス増加のためには、 当然注目されることをしなければならない。 そのためには、
- そんな馬鹿な!
- そんなことを書いてしまうとマズイのでは?
というようなことこそ書いてしまうべきである。
当たり前のことを書くということは、 自分は正常な人間であることを主張しているに過ぎないのだが、 そんなことに誰が興味を持つであろうか。 インターネット上には、膨大な量の情報が溢れており、 その中で目立たないことにはアクセスは増える筈がないのである。
正しさに捕われた受験水準から抜け出し、 自由になってコンテンツをでっちあげよう!
さて、あなたにできるであろうか?
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